昭和47年1月20 朝の御理解 ( 末永信太郎 )
御理解第61節
神より金光大神に、いつまでも尽きぬおかげを話にしておくのぞ。信心しておあkげを受けたら、神心となりて人に丁寧に話をしてゆくのが、真の道をふんでゆくのぞ。金光大神が教えたことを違わぬように人に伝えて真の信心をさせるのが、神へのお礼ぞ。これが神になるのぞ。神になりても、神より上になるとは思うな。
お道の信心が生神を目指す、と。最近、そのことを頂いておりますですね。いわゆる、生神の境地だと( )。そういう信心を目当てにして、私どもは信心をさせて頂くというのじゃないと、途中から間違うて来ます。ね。おかげを受けると、信心が疎かになったり、おかげを受けなかったら、もう、神も仏もあるもんかというようなことになったり、もう、受けても落としても、そういう結果になるです。ね。
けれども、目指すところが違う。目指すところが真の信心、目指すところが真の道を求め求めてのものであるならば、それは、火にも焼けませんでしょう、水にももちろん流されませんでしょう。そういう信心を私どもは願いとさせてもらわなければならない。
金光大神にいつまでも尽きぬおかげを話にして残しておくのぞ、と仰る。いわゆる、御教えなのです。ね御教えを頂きますと、今、私が申しましたようなところにならされて参りませんと、いわゆる、金光様的なとでも申しましょうかね、教祖的生き方とでも申しましょうか。また、教祖が受けられたようなおかげと申しましょうか。そういうおかげが現れて来ない。
ただ、目先目先に、一言二言、そのことが成就したというようなおかげに止まってしまうわけです。けれども、そういうおかげに止まっておる人がどのくらい多いか分かりませんですね。もう、110年から経ちます。まだ、新しいようで、まあ、古いですわね、まあ、100年もと、こう思いますけれども、まあ、何千年も経った宗教がありますから、それから言うと新しい宗教です。
けれども、その中にどれほどしの人が助かって来たか、ご縁を頂いたか分かりませんけれども、今日、この61節でですよね、真の道を踏み、真の道をさせてもらい、ね、そして、それを人に伝えて真の信心をさせるのが、神へのお礼ぞ、これが神になるのぞと仰るような、その神になって行くほどしの信心というのは、ごく少ない。私はもう、合楽の信奉者全体がね、本当言うたら教団全体と言いたいのですけれども。ね。
まあ、私がお話をしておることを、それこそ全国の御信者さん方に拡声器でお伝え出ける時代が来れば、また別ですけれど。ね。ここで、このようにして御教えを頂いておるのでございますから、本気でそこに、私は一つ、ね、皆さんが本当の意味においての真の信心を身に付けさせて頂いて、皆さんが、一人ひとりが拡声器代わりになって、それこそ、世界中に広がって行くところの基礎とか土台というものを作らせて頂かねばというほどしのね、意欲に燃えた信心をして頂きたいと思うね。
ですからそこにはです、本気でいわゆる信心のけいこ。ね、をしなければならんわけでございます。最近、本部から頂いております、新、まあ、御理解と申しましょうかね。金光大神御理解の中に最近発表されました、これは御理解なんです。中に、こういう御理解がございます。黒住、黒住と言うて信心して、あの通り盛んになって行きよるが、この道はしだいしだいに広がって、行く億年経っても、信心する者は多くなっても減りはせぬ、と仰っておられる。まあ、( )ところ。
私が思うたり言うたりしておること。例えば、本当に和賀心時代を築かねば、しかも世界中に、それは千年万年、いわゆる億年かかるかも分からんけれどもです、本当なこと、このことがしだいしだいに広がって行くおかげを受けなければならないということ。ね、ですから大変なこと。それはそうですわね、人間の知恵力で、今までは、まんまんしゃまと言うて拝みよったお月さんの世界に、それこそ月の世界に旅行が出来るという時代なのですからね。
ですから、そういう意味においてです、例えば、本当に人間の幸せ、人間の幸福、人間氏子の幸福というのは、私どもが和賀心に心を向けさせてもろうて、いわゆる、和らぎ賀ぶ心。それは頂けないに致しましても、和らぎ賀ぶ心を目指す心。それに向かって精進する人間氏子がです、また、ここに人間の幸せがあるんだと分からせて頂くところまでは、一つ徹底して行きたい。
まず、私の心から、自分の家庭から、ね、私に縁のある限りの人達にこのことを伝えて。ためには、私自身が和賀心にならせて頂けば、このようなおかげが受けられる、このような言うなら極楽とでも申しましょうか。ね。世界が開けて来るんだ、という事実をね、私が示さなければ誰も付いちゃ来ません、言うだけでは。ね。そういう意味でです、私は皆様に、私を未て下さい、と。
私がおかげを頂いておる事実を、二十何年前までは、それこそ住むに家なし、食べるに、それこそ一椀のお粥が食べかねた時代があったんですから。夏も冬も、それこそ着たきり、(すずめ?)の洋服一着で過ごした時代があったんですから。履物は拾うて歩いた時代があったんですから。ね。
それが、なら今日、私がおかげを受けておる、ですから、私を見て下さい。ね。私と例えば申しますと、先生は貴方は特別ですよなんて言う人があります、そんなことはないです。ね。教祖金光大神が仰るように、ね、此方がおかげの受けはじめ。いわゆる、金光大神がおかげの受けはじめ、皆もこのようなおかげが受けられると、言うなら恒言しておられるんです。それにはね、それの言うならば道がある。ね。
だから、皆さんもどうぞ、ね、一椀のお粥で辛抱しなさいと、夏も冬も、夏服一枚で過ごしなさい、下駄は買いどんしなさんな、拾うて歩きなさいとは、私は申しません。私がそうでした。けれどもです、なら、それに匹敵するほどしの、そんなら難儀というものを銘々が持ってるんです、様々な。ね。
それを、難儀と言わずにです、神愛と分からせてもらい、ね、それを神様が私に下さった、私に求めて下さる修行だと頂いて、頂き抜くことを、ここでは成り行きをいよいよ本気で大切にしましょうや、いよいよ本気で全てのことを御事柄として、ね、御の字をつけて、事柄じゃない。もう、御事柄、神様が下さるのだ、という生き方、頂き方を持って、ね、真の道をいよいよ求め求めさせて頂こうということ。ね。
黒住黒住と言うて、その当時、やはりずいぶんと、黒住教ですね、いわゆる。やはり、時を同じゅうして、教祖のその時代に黒住教があのすぐ近くですわね、で発祥いたしました。そして、たくさんの人が段々助かった。それで、まあ、そのことを(匹敵?)と仰っておられる、黒住、黒住と言うてあんなに盛んになりよるけれども、まあ、ここではそう仰ってないけども、あれは長くは続かんぞ、という意味が含まれておるような感じがしますね。けれども此方の道はです、まあ、ぼつぼつではあるけれどもです、億年万年経っても、段々広がる一方だ。はあ、本当に私のような人間がこのように今あるということだけでも、そうだと私は思いますね、ここを頂いてから。幾億年先でもええ、私の思想、私の願い、私の思いがです、ね、それが、なら私だけではない、お道の信心者、信奉者が全部その気にならせて頂いたらです、有り難いことなんだ。それには、まず私がおかげを受けなければならんのです。ね。
だから、私が一人でおかげを頂いたもんじゃ、先生、あなたが特別ですよち言うたら、もう、それまでですから、ね、合楽に御神縁を頂く人の全てがおかげを頂いてもらうことによって、なるほど、と皆やら信心のない者も合点することでしょう。ね、そういうおかげを皆さんに頂いて頂きたいと思います。ね。
ほれで、昨日も申しましたように、どうも、私の信心は人見せ信心。どうもショーのような、ね、それこそ、サーカスの綱渡り、空中ブランコのような感じだと昨日申しましたがです、やはり、同じ金光様の信心の中にでも、そういうのがございますですね。
教祖の時代に、やはり金光大神の御神号を受けられた方達がおられます、片岡次郎四郎とかね、斎藤じゅうえもん先生とかという方達は、どこどこの金光大神と言われるほどしの御神徳を受けられたんです。ほれで、人間で神という、を使うことは出けないということになりまして、もう、その御神格とか御神号というをお差し止めになられたんですけれども、その後においても、やはりずいぶん、金光大神を受けておられる方は沢山あろうと思います。ね。久留米の石橋先生とか、甘木の安武先生なんかと、もう、本当に私は金光大神の御神格を受けておられたお方達だと思います。ね。
だからこそ、あれほどしのごひれいを受けられたんですから。ね。ところが、その、何と言うでしょうかね。やはり、この黒住、黒住ということをここで言っておられますけれども、やはりご自分のお弟子であるところの、どこどこの金光大神といったようなものがです、非常にその華やかなね、それはもう、非常にごひれいが、やっぱ輝いたんだそうですね。だから、大谷を通り抜けて、(さいさき)とか斎藤(またさぶろう?)先生んところに皆がお参りしたというぐらいです。ね。
金光大神のことを、教祖のことを麦飯金神と言ったそうですね。他の金光大神のことは、( )金神と仰った。まあ、その当時の人達が言うたと伝えられております。というほどしに、やはりあの、( )方がやっぱ良いとですわね。それだけ、おかげを頂いたわけです。ね。それこそ、拍手喝采を受けるような、まあ、言うなら合楽のような状態じゃなかったろうかと思いますですね。
だからどうも、言うならば( )しい金神の傾向が合楽は強い。昨日にして、私はそこんところを思うんです。これは本当に、ね、麦飯でもええから、ぶつぶつでも良いから、本当に千年万年経ったその先までもです、ね、広がって行ける、いわばものを頂いとかなければいけないな、というなことを、まあ、昨日からしきりに感じさせて頂いております。
その次の新御理解の中に、こういう御理解がございます。ある人、「金光様、貴方はお達者で多くの人をお助け下さいまして、結構なことでござります」とご挨拶を申し上げしに、と。ここは、まあ、ある人がそういう風に金光様にご挨拶を申し上げたんですね、生神様、生神様とみんなから仰がれておられるその時代のことです。それに、金光大神だお答えになっておられることがです、此方も人間じゃけえ、身体に、体に塩をしてはおらんから、いつまでも生きられるとはゆかん。人間は生き通しが大切じゃ。生き通しとは、死んでから後、人が拝んでくれるようになることじゃ、と仰っておられる。
人間の体に、その塩漬けするわけにはいかんと仰っておられる。だから、生身持っとるから、ね、やはり死ぬるけれども、人間は生き通しが大切じゃ、と。なら、生き通しということははどういうことかと言うとです、ね、後々までもです、本当に皆が拝んでくれる、人が拝んでくれる。ね。そういう、いわば信心を身に付けておきたい。で、そこでです、んなら、私がです、ね、亡くなりましても合楽教会がもし、ね、千年でも万年でも続くと致しましょうか。ね。
まあ、大きなことを言いますから、まあ、100年ぐらいなことにしましょうか。ね。まあ、これが、ね、五十年も百年も、まあ、続くと致しましょうか。ね。本当に合楽の初代、大坪聡一郎という人は偉いお方じゃったげなと、生神様のような人じゃったげな、と。ずいぶんの人がどんどん助かった。本当に、その大坪聡一郎人あって、今日の合楽があるのだ。今日、このように沢山な人がどんどん助かって行くもとを取られたのは、大坪聡一郎という人だった、ということになるわけです。ね。
ですから、おかげさえ頂いて行きゃあ、そのもとを開いた人が、いわば後々の人からでも拝まれることになって来るんです。そこで、なら皆さんだって同じことなんです。ね。何々家のいわば先代が金光様に御神縁を頂いて、御信心を頂かれたおかげで、子供が孫がそれを継承して行く。だから、子が孫が本当に継承するほどしのです、私は信心を頂いとかなければいけないということ。
本当に先代が金光様ノ信心を頂いておってくれたということが、有り難いと子孫の者が拝んでくれるほどしの信心を頂いておきたい、ということになりますですね。ね。( )の者が、ね、私を拝まにゃならんぞ、といくら言うておっても、いつの間にやら、それこそ私の知った人の大変偉い方でした。ずいぶん、金も儲かられました。私は久留米におる当時でございましたが、それはもう、本当に見事な石碑が生きとられるうちに出来ました。ところがどうですか、もう、その石碑を守りをする人がないです、現在では。ね。
だから、そういうことでは、つまらんのですよ。ね。それにはです、真の信心を、ね、人に伝えて真の信心をさせるのが、神へのお礼ぞと仰るし、ね、それが神になる、これが神になるのぞとまでも教えておられるのでございますから、神になる手立てとしましてです、ね、私自身が真の信心を頂いて、真の信心をそれを人へ伝えて行く。自分が違ったものを頂いとって、本当なものを与えられるはずはありません。
自分自身が本当なものを頂いて、初めてそれを与えて行くのですから、ね。そこに、貴方のおかげで助かったという人達が自分の周囲に出けてくる。それが神になるのぞと、こう。神になりても、神より上になるとは思うなということは、なかなか難しいことだと思います。ね。
神様より上になろうとは思わん。けれども、まあ、形の上においては、神様より上になっておる人が沢山おるんです。まるっきり、神様を小遣いのようなごたることを。今から久留米に行きますから、神様どうぞ付いて来て下さい。どこどこに集金に行きますから、どうぞよろしくお願いします。
まるっきり、神様を集金にやりおるようなもん。ね。久留米中に言うならば、神様を小遣い代わりに連れて行きよるようなもの。ね。だから、そういうような私は意味において、神より上になると思うな。また、もっと深い意味もございましょうけれども、まず、そういうところは、早く卒業させてもらわにゃいけないと思いますね。そこで、いわゆる神様がご主人という生き片になるわけであります。ね。
神様が久留米にお出でになる。お供をさせて頂きますということになるのです。バスに乗らせて頂くでも、わが席(のごたるし?)、神様どうぞと、例えば言うような心持ちでバスに乗ることなんです。ね。下駄でも拝めというのは、そういうことなんです。神様、集金に行って下さいじゃなくてです、ね、神様の言うならお供をして、集金に行くという生き方なんです。ね。
神より上になるということは、神様を私は使うということ。神様を使うというのではなくて、お道の信心はどこまでも神様に使われるということが、お道の信心なのです。ね。神の用を足せば、氏子の用は神が足してやるという働きにそれからなって来るわけなんです。
そこでです、ね、真の道を踏んで行く、と。金光大神様が教えられたことを、ね、神心になりて人に丁寧に話をして行くのが、真の道を踏んで行くのだ、と。ね。だから、その神の教えを、神様の御教えをどのような風にキャッチし、または頂くかということが問題になって参ります。ね。自分勝手な頂き方で、そして、ただ神様にお願いをするというのは、ね、神を使うようなもの。
自分が車力を引っ張って、後ろから神様が後押しさせるようなもの。どこまでも、神様が引っ張って下さるのであり、後から付いて行くのでありでなからなければならん。ね。昔話に、花坂爺のお話がございますね。ある日、飼い犬が、ね、ここ掘れワンワン、ここ掘れワンワンというわけなんです。ね。
そこで、そこを掘らせて頂いたところが、それこそ大判小判がざくざくと出て来たと言うのです。ね。それを聞き伝えた隣の爺さんが、ね、その犬を借りに参ります。鳴きもせんのを無理に鳴かせて掘ったところが、ね、瓦やら何やらきたないものばっかりが出たという。そこで腹を立てて、その犬を殺してしまうんです。お爺さんが犬をもらい受けに参りますと、もう、あれは殺したと、こう。
そこで、死体をもろうて帰って、その上に一本の松の木を植えた。そすと、その松が段々大きくなりましたから、ね、その松の木で臼を作った。そして、それでお餅をつくと、今度は臼の中から、また大判小判がざくざく出て来たと言うのである。さあ、それを見ておった隣の爺さんは、またその臼を借りに参りました。ね。そして、それで餅をつかせて頂きますと、大判小判どころか、また汚いものが臼の中から出て来たといので、いよいよ腹を立てて、その臼を割って焼いてしもうた、燃やしてしもうた。
お爺さん、また臼をもらいに行くとそのような事態ですから、ね、仕方がないから、せめて、その廃だけなりともと言うて、もらって帰ります。その廃を裏の庭に蒔きますと、それこそ不思議。ね。枯れ木のようにしておった木にきれいな花が咲いたと言うのです。そこで、花坂爺、花坂爺と呼びながら参りますと、殿様の行列に出会った。本当にこの枯れ木に花が咲くならば、咲かせてみよと言うので致しますと、ね、それこそ、枯れ木に花が咲いた。殿様が大変お喜びになって、たくさんな、いわゆる莫大なご褒美を下さったというのである。悪い爺さんも、またそれを真似した。
ところが、それとは反対に、それこそ廃やらゴミやらがお殿様の目に入るような結果になって、ね、とうとう捕らえられてしまったという、いわゆる、花咲爺のお話なんです。私はもう、この御理解を昔、20年前に頂いた時にですね、もう大変感動致しました。ね。たとえ、よし、犬を殺されようと、臼を割られようが。ね。そこに不平も言わず、不足も言わず、ね、まあ、お道の信心の言葉で言うならば、これも神様のご都合であるに違いはない、これも神愛だとして頂いて。ね。
そのこと事態を合掌して受けて行くという生き方の中から、それこそ枯れ木に花の咲くようなおかげが受けられるんだ、と。ね。ここで20年間の間に、枯れ木に花の咲くようなおかげを受けた人が沢山ございます。誰が言うても、もう駄目だ、もういけないという事態が、枯れ木に花の咲くようなおかげになってまいります。助からんはずのが助かって来ます。ね。
私はそれこそ花咲爺さんじゃないけれどもです、そういう修行をして来たと、自分でも思うております。ね。( )色々なこともございました、辛い思いをすることもございました。ね。けれどもです、ね、そこのところを教祖様は、此方の道はただ、ね、有り難い、有り難いという喜び一つで開けた道じゃから、喜びでは苦労はさせんと、ただ仰ったそのお言葉をです、私は心に真に受けた。ね。それこそ、血の涙の出るような時であっても、それを喜びの涙に変えて行く、まあ、言うならば修行をさせて頂いた。
喜びで開けた道じゃからと仰るから、ね、喜べんでも嘘にでも喜んできた。嘘にでもいいんですよ、徹底するということのためには。ね。嘘から出た真ということがあります。そこから、本当に真が出て参ります。ね。私は、今日は皆さんにです、この真の道ということはね、色々に説明はされておりますけれども、ね、喜びで開けた道じゃからという、その道が真の道だと思うんです。ね。
そこんところを、なら、成り行きを大事にして行け、御事柄として受けて行けというのがそれなんです。だから、枯れ木に花の咲くようなおかげを頂いてです、ね、それを人に伝えて行くことが、また出来るということが言えますでしょう。理屈がないです、もう金光様の御信心はそこに、それ一つに絞ればもういいです。いわゆる、神様へのお礼が出ける。自分自身が本当に助かるということがです、人が助かって行くことになる。子孫が助かって行くもとを作る。
あの世にも持って行かれ、この世にも残しておけるものは神徳じゃと仰るが、神徳というのは、只今申しますような、真の道を辿らせて頂くところ、真の道をいよいよ求めに求めて行くということ。ね。そこに、徳を受ける。ね。そしてそれが、子に孫に伝わって行く。100年経とうが200年経とうがです、ね、その信心を頂いた、もとをとった人達が拝まれないはずがありません。ね。
拝まれるということが、それは、これは永世生き通しだと、教祖様は仰っておられます。ね。永世生き通し体。この61節のところがです、ね、今日、私が申しましたような事柄で、分かって、まあ、頂いたと思います。ね。今日は、ね、金光大神はこういうことを仰ったぞ、というような幅の広い御教えではございませんでした。ただ一言、ね、金光大神は、此方の道は喜びで開けた道じゃからという、そのことを、私は真の道だ、真の信心だと聞いて頂いた。ね。そこから受けてくる、現れてくるおかげを自分自身が頂いて、ね、そしてそれを、間違わぬように人に伝えて行くのが、神様へのお礼にもなれば、それが神になるのぞということになって参ります。昨日から申しております、生神への道はそういうことだと思います。ね。
神より上になるとは思うな。ここんところをもっと、信心の程度を下げてみて考えて見るとです、信心の程度の低い時には、もう本当に神様を小遣いのように使うておった。ね。それが、使うのではない、使われる身にならせて頂くということなどを、まあ、申しましたですね。神の用を足せば、氏子の用は足してやる。神様が足して下さるおかげというのは、もう、これは無尽蔵、限りがないものです。
それを、お徳と、まあ、言うわけになりますね。今日は久しぶりに、その、花咲爺の御神眼を頂きましてね、どういうことだろうかと思うたら、今、61節を頂いたんです。ですから、そのことが61節の内容だと、私は思います。ね。これだけは許されるけれども、これは許されんというようなことがあってはなりません。それは許されんです。けれどもね、もう、それこそ許したふりをしてでも、許して行かなきゃいけません。喜べません、けれども、ね、嘘にでもやはり喜んで行かなきゃいけません。
もう、金光様の御信心は、もう、本当にもう、言うなら糸簡単、これだけなんです。それがね、段々けいこをして行くうちにです、もうそれこそ、嬉しゅう、楽しゅう、それを受けて行けれる道が開けて来ることは、私は今日までの体験から言うて、それを言うことが出けます。不思議です。ね。昔なら、これがもし十年前、二十年前であったら、それこそ青うなって腹立てただろうというなことが、それこそ有り難た涙がこぼれるごとなって来るんですからね、信心っちゃ不思議なこと。ね。
そういうね、おかげを皆さん頂いて頂けなければです、和賀心時代を創るということの運動に、いわば荷担した、奉賛するということにはならないと思うですね。どうぞ。